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作新学院が54年前に優勝した時の投手は誰?史上初の春夏連覇だった!

 

2016年8月21日に甲子園球場で行われた、「第98回全国高校野球選手権大会(夏の甲子園2016)の決勝戦で、栃木県代表の作新学院高等学校が7対1で、南北海道代表の北海高等学校を下し、54年ぶり2回目の優勝を飾りました。

 

作新学園が54年前に優勝した「第44回全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園1962)」では、史上初めてとなる春と夏の甲子園連覇を達成しています。その時の優勝投手や対戦相手なども調べてみました。

 

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54年前に優勝した時の投手は誰?

作新学園が54年前に出場した「第44回全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園1962)」は、8月10日~8月19日の期間で開催されました。

 

参加高校数は1996校。その中から全国の予選を勝ち抜いた30校が甲子園球場で激戦を繰り広げ、開会式で選手宣誓を務めたのは、徳島県代表・徳島商業の高森和夫主将。

 

作新学園はこの年に行われた春の選抜にも優勝していますが、エースは八木沢荘六(やぎさわそうろく)さん。

 

八木沢荘六さんは1944年12月1日生まれで、 現在の年齢は71歳。栃木県今市市出身の元プロ野球選手で、東京オリオンズとロッテオリオンズの投手として活躍されていました。

 

1973年10月10日に登板した太平洋クラブライオンズ戦では、史上13人目となる完全試合を達成しています。

 

春の選抜で優勝した作新学園は、エースの八木沢荘六さんを中心に「夏の甲子園予選北関東大会」を順調に勝ち進み、夏の甲子園出場を決めました。

 

そして、史上初の春夏連覇を目指しさあ甲子園へ!という時、大会直前に八木沢荘六さんが赤痢にかかってしまい、出場できないというアクシデントが・・・。

 

その八木沢荘六さんの代わりに夏の甲子園でエースを務めたのが、リリーフを担当していた加藤斌(かとうたけし)さんでした。

 

加藤斌さんは1944年5月21日生まれで、栃木県宇都宮市出身。春の選抜で優勝した後、野球部長に勧められて、投げ方をオーバースローからアンダースローに転向しました。

 

そして迎えた夏の甲子園大会。

 

1回戦では、宮城県代表の気仙沼高校を延長11回の末2-1で破り、2回戦では、神奈川県代表の慶應義塾高等学校に7-0で勝利します。

 

準々決勝では、岐阜県代表の岐阜商業高等学校に9-2で勝利し、準決勝では愛知県代表の中京商業高校を11-2で下して決勝戦に進みました。

 

そして1962年8月19日に行われた決勝戦の対戦相手は、福岡県代表の久留米商業高等学校。7回裏に奪った1点を守り切り1-0で勝利し、見事に春夏連覇を達成しました。

 

優勝投手は加藤斌さんでした。

 

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優勝投手に起こった悲劇

54年前に作新学園を史上初となる春夏連覇に導いた、加藤斌さんのその後が意外だったので、ご紹介します。

 

夏の甲子園の優勝投手になって一躍時の人となった加藤斌さんには、たくさんのプロ野球球団から声が掛かり、争奪戦が始まります。

 

一番有力候補だった球団は読売ジャイアンツでしたが、中日ドラゴンズがとんでもない方法で、加藤斌さんに接近。

 

その作戦とは、当時中日ドラゴンズのコーチを務めていた土屋弘光さんと、加藤斌さんの妹をお見合いさせるというものでした。

 

お見合いは見事に成功し、その結果、加藤斌さんは中日ドラゴンズに入団することになります。これは本当に昔ながらのエピソードといった感じですね(^-^;

 

加藤斌さんは、1963年のルーキーシーズンに4試合にリリーフで登板し、1勝0敗で防御率1.00という好成績。1964年の2年目は、31試合中10試合に先発登板し、2勝4敗で防御率は4.96という成績でした。

 

1965年1月3日、2年目のオフシーズンに加藤斌さんは、地元の宇都宮市内で開かれた作新学院のクラス会に出席します。

 

そして、2次会に参加する為に愛車の「ダットサン・フェアレディ」に友達を乗せて、日光市にある旅館に向かいます。

 

その途中、今市市(現・日光市)内を走行中に、加藤斌さんの運転していた車が凍結した路面でハンドルを取られ、民家のブロック塀に激突するという事故が起こりました。

 

加藤斌さんはその事故で、頭蓋骨陥没による意識不明の重体になり、搬送された病院で翌日の1965年1月4日、20歳という若さで亡くなられたそうです。

 

まとめ

2016年8月21日に行われた夏の甲子園2016で、作新学園が54年ぶりに優勝したということで、54年前の作新学園を知りたくて調べてみました。

 

作新学園で最初に名前が思い浮かぶのは、自分は怪物・江川卓さんでしたが、夏の甲子園で優勝していないというのが意外でした。

 

54年前の春の選抜優勝投手が八木沢荘六さんだったという事には、そうなんだ!と思いました。八木沢荘六さんは、野球好きなら知っている有名な方なので。

 

そして、54年前の夏の甲子園で作新学園を優勝に導いた、加藤斌さんという方が、交通事故で20歳の若さで亡くなられていた事に、とても驚きました。

 

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